青い薔薇の時間

ヒントになれば幸いです。

大阪のとある公園。NikonD810の思い出1

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数年前に、ニコン主催の写真術で撮影した、冬の大阪の公園で撮ったもの。

3635万画素でローパスフィルターレスのNikonD810は、枯れた枝の細部まで描写し、寒々としながらも、力強い表情を鮮明に現わしてくれる。

ただ、緑がやや濃く映るのは気になるところだけど。

現在ではD850が後継上位機種だが、この写真を見る限り、D810でも十分行ける。

www.nikon-image.com

残念ながら、手放してしまって後悔した機種の一つ。

中古美品で、リーズナブルなものがあれば、また買ってしまうかもしれない。。

クロワッサン、ご飯、豚汁 日々の食事の一例。

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札幌キムラヤのクロワッサン

久しぶりに何の用事もない日曜日。

朝は寒いので、遅めに起床し、サンデー・ジャポンを観ながらクロワッサンをほおばる。

写真は2個だけど、実際には既に3個食べてしまった。

冬に近づくにつれ、身体のエネルギー消費量が多くなり、食欲が増すことが原因だろう。

パネトーネ製法のため、保存期間が長く、少しずつでも持つけど、お腹が空いている時には、一気になくなってしまう。

5個入りで200円切る安さが食べるスピードを加速することもある。

イーストフードが入っていないこともお気に入りの一つだ。

お昼が近づき、ちゃんとしたものが食べたくなって、少し調理することにした。

まずは、ストウブのラ ココット de GOHANのSサイズで1合炊き。

一人暮らしにとってはうれしいサイズ感。

大切な人との食事にもちょうど良い。

余っているクミンシードで香りを高め、蓋を閉める前に卵を落として出来上がったのがこちら。

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ラ ココット de GOHAN with 落とし卵

少しずれたところが素人感。

この鍋で炊くメリットと、炊き方はオリジナルのサイトが詳しい。

jp.zwilling-shop.com

次に豚汁。

基本は、豚肉と根菜類を味噌で煮込むことなので、冷蔵庫の残り野菜をぶち込む。

今の季節には、サツマイモのほんのりした甘さがマッチする。

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豚汁(サツマイモ入り)

豚汁だとショウガ入りで食が進むので、野菜を多く摂れるし、身体も温まるので、冬場は多く作ることになる。

一回作ってしまえば、翌日朝ぐらいまでは持つので、調理の手間も省けて楽だ。

ちなみに、撮影はRX100M3。ちょっと撮るには軽くて便利。

SONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 III 光学2.9倍 DSC-RX100M3

SONY デジタルカメラ Cyber-shot RX100 III 光学2.9倍 DSC-RX100M3

 

 今後も料理写真に使っていきたい。

個人的な経験から、男性にも聴いて欲しい楽曲。IDGAF by Dua Lipa

別れると決めたら、女性は決意が固い。

それを知った男は、慌てて謝るが、時すでに遅し。

女性はもう前を向いている。

女性の気持ちの強さを代弁している、インパクトのある曲だ。

 

Dua Lipaは、コソボ出身の両親を持つ、アルバニア系イギリス人。

低音で響く個性的な美声と、太い眉に眼力のあるエキゾチックな美貌を兼ね備えた、

10代から20代の女性を中心に、世界的に人気があるアーティストの一人。

2019年2月にグラミー賞最優秀新人賞を獲り、今後も益々活躍が期待されている。

彼女の楽曲のYouTubeの再生回数は、トータルで10億回を超えているから驚きだ。

その半分強5億5千万回が2018年にリリースされた、このIDGAFに集中している。

スタイリッシュで、ノリが良く、楽曲の完成度の高さもあるが、歌詞に共感する女性が多いからかもしれない。

 

ちなみにIDGAF (=I do not give a f〇〇k):どうでもいいの、という意味。

歌詞と和訳は、既にいろいろ出ているが、こちらを参考にされるといいと思う。

www.musixmatch.com

 

恋仲だった男女が、女性が我慢に我慢を重ね、復縁を迫る男性を突き放す状況が伝わってくる。

 

男の方が未練がましいというが、確かにそうだと思う。

よく元恋人や元妻に復縁を迫るが、それがかなわず、勢いあって事件に発展するケースが後を絶たない。

あれだけ甘えてくれたのに、尽くしてくれたのに、気持ちが変わると、全く相手にされなくなることに、男は大変戸惑う。

なんとかして繋がろうとするが、別れを決めた女心は変えられない。

だから、男という肉体的な強さで押さえ込もうとしてしまうのだろう。

 

事件やトラブルを起こさないためにも、男性もノリノリで聴いて理解した方が良い。

 

私も、もっと早くにこの曲に出会いたかったな。。

2度目の富良野線は初雪だった。

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千代ヶ岡駅

子どもの頃以来、所用で乗った富良野線

あいにくこの日は、11月下旬並みの寒波だった。

寒いけど、降りたての雪は新しく、きれいに感じる。

それにしても、北国の冬は、スカート以外の服装も許可したら、と気になってしまう。

私が通っていた高校は、当時は制服の着用が自由だったので、冬はジーンズ姿の女子が多かったように思う。

スカートを履いていても、かなり厚手だった気がする。

そういう面ではとても良い校則だった。

ちなみに、撮影はRX100M3。

防塵防滴仕様ではないので、傘を差しながら撮った。

しかも人物像が特定されないよう遠目から。

軽くて、シャッターチャンスを逃さない。

冬の風景も、積極的に撮ってみたい。

大丈夫だから。

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月1回の通院の付き添い。

病院に行ったからといって、認知症が治る訳ではない。

そんなことは、院長も私も分かっている。

ただ、定期的に通院することで、情報を共有でき、新たな異常を見つけ、予防することができる。

 

母が認知症になって良かったことは、しばらく離れて住んでいた私を呼び寄せ、独占できること、

私が母に優しく接することができるようになったことかもしれない。

 

介護そのものは、母の年金を通じ、施設にお任せし、介護疲れにならずに済んだことが大きい。

 

中卒ながら、定年までしっかり働いた母。

2人の息子をともに旧帝大の国立大学を卒業させ、上場企業や公務員になるまで育て上げたことは、子どもとしても立派だと思う。

 

2人とも脱線して、残念な境遇に直面したことは、さぞかし心痛だったことだろう。

そのことは、本当に申し訳ないといつも思っている。

その分、今はできることはしてあげるようにしている。

 

まだ耳はしっかりしていて、意思表示もある程度はできる。

ただ、言葉は全く出てこない。

それは残念でならない。

 

そんななか、保険証と診察券をみせながら、通院のことを話していたら、しっかりした視線で

「大丈夫だから。」と久しぶりに声を発した。

 

子どもに心配させたくない母の意思が伝わり、胸が熱くなった。

 

写真を補正してみたら。Nikonz6の思い出1

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京橋の明治屋さん前で

数か月前に東京へ行った時に撮った写真。

東京で働いている方は、どのあたりか想像がつくと思う。

新旧のビルの対比に惹かれ、ややNYっぽい雰囲気を感じたのでNikonz6で撮影した。

フルサイズのミラーレスカメラで、軽量で手振れ補正が付き、使い勝手が良い。

レンズは、24-70のズームで、広角端(24mm)を使った。

リサイズしているので、上の方が途切れている。

また、縦に間延びしてしまい、デフォルメ感が強い。

これは美しくないので、Photoshopを使ってアオリ風に補正してみた。

ちなみに、あおりとは、こういうこと。

ja.wikipedia.org

余談だけど、Pohotoshopって、2020にバージョンアップしているのね。。

それはさておき、補正するとこんな感じ。

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デジタル補正後の写真

ビルが垂直に、人の姿もより自然になった。

写真は、写ったままが良いから、という理由でデジタル補正はけしからんという人は、最近は少なくなったけど、それでもまだ若干いる。

でも、この2枚の写真を比較したら、補正後の方が断然良いはず。

最終的にどう表現したいかによって、補正するしない、どこまでするかは作者が決めたらいいと思う。

我思うゆえに、我ありなんだと気づいた時。

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

デカルトの憂鬱  マイナスの感情を確実に乗り越える方法

 

自分を見失い、ややヤケになっていたころに出会った本。

送り主は、元職場の上司だ。

私の境遇と先行きを心配し、気遣ってくれた。

大切な恩人の一人である。

「我思うゆえに、我あり」は有名なフレーズだが、

最初にその言葉を知った高校生の頃は、何言ってんだ、と思っていた。

正直、言っている意味が分からなかった。

 

やがて時が流れ、楽しいことから辛いことまで数限りない経験をし、ついには、自分としっかりと向き合わなければいけない場面が訪れた。

自分がやってきた行いを振り返らなければいけない時期。

時には、自己を否定しなければいけない場面もあり、苦痛を伴うこともあった。

 

それでも、表紙に書いてあることを実行していくうちに、少しずつ気持ちが楽になった。

瞑想と思索を通じ、複数の重要な課題が整理され、分割して対処することで、光が差し込んできた感じがした。

 

さらに、一人でいられる時に瞑想を続けていると、肉体を離れた意識体としての自己(=SOUL)に、知識としてではなく、体感できるようになった。

ああ、だから「我思うゆえに、我あり」なんだと、わかった気がした。

肉体を超えたところにSOULがあり、肉体とは、その乗り物で、どう活用するかが大事なんだということに行き着いた。

ここまで書いても、うまく表現できないことに気づき、もどかしいが、お伝えしたいのは、本書を通じ、洞察を重ねていくと、内なる自分に気づくことができ、それがとても喜びに満ちた出来事だった、ということだ。