大丈夫だから。
月1回の通院の付き添い。
病院に行ったからといって、認知症が治る訳ではない。
そんなことは、院長も私も分かっている。
ただ、定期的に通院することで、情報を共有でき、新たな異常を見つけ、予防することができる。
母が認知症になって良かったことは、しばらく離れて住んでいた私を呼び寄せ、独占できること、
私が母に優しく接することができるようになったことかもしれない。
介護そのものは、母の年金を通じ、施設にお任せし、介護疲れにならずに済んだことが大きい。
中卒ながら、定年までしっかり働いた母。
2人の息子をともに旧帝大の国立大学を卒業させ、上場企業や公務員になるまで育て上げたことは、子どもとしても立派だと思う。
2人とも脱線して、残念な境遇に直面したことは、さぞかし心痛だったことだろう。
そのことは、本当に申し訳ないといつも思っている。
その分、今はできることはしてあげるようにしている。
まだ耳はしっかりしていて、意思表示もある程度はできる。
ただ、言葉は全く出てこない。
それは残念でならない。
そんななか、保険証と診察券をみせながら、通院のことを話していたら、しっかりした視線で
「大丈夫だから。」と久しぶりに声を発した。
子どもに心配させたくない母の意思が伝わり、胸が熱くなった。