我思うゆえに、我ありなんだと気づいた時。
自分を見失い、ややヤケになっていたころに出会った本。
送り主は、元職場の上司だ。
私の境遇と先行きを心配し、気遣ってくれた。
大切な恩人の一人である。
「我思うゆえに、我あり」は有名なフレーズだが、
最初にその言葉を知った高校生の頃は、何言ってんだ、と思っていた。
正直、言っている意味が分からなかった。
やがて時が流れ、楽しいことから辛いことまで数限りない経験をし、ついには、自分としっかりと向き合わなければいけない場面が訪れた。
自分がやってきた行いを振り返らなければいけない時期。
時には、自己を否定しなければいけない場面もあり、苦痛を伴うこともあった。
それでも、表紙に書いてあることを実行していくうちに、少しずつ気持ちが楽になった。
瞑想と思索を通じ、複数の重要な課題が整理され、分割して対処することで、光が差し込んできた感じがした。
さらに、一人でいられる時に瞑想を続けていると、肉体を離れた意識体としての自己(=SOUL)に、知識としてではなく、体感できるようになった。
ああ、だから「我思うゆえに、我あり」なんだと、わかった気がした。
肉体を超えたところにSOULがあり、肉体とは、その乗り物で、どう活用するかが大事なんだということに行き着いた。
ここまで書いても、うまく表現できないことに気づき、もどかしいが、お伝えしたいのは、本書を通じ、洞察を重ねていくと、内なる自分に気づくことができ、それがとても喜びに満ちた出来事だった、ということだ。